覇穿 封神演義という作品へ思うこと

わたしは封神演義が好きだ。

初めて出会ったのは小学校の低学年のとき、姉が買ってきたWJだった。vs雷震子の、太公望がパンチパーマになり四不象がベルばらみたいな巻き髪になる、あれだ。

仙界大戦がはじまってからはかなりの熱狂的なファンになった。単行本は何度も読み返し、セリフだけでなくてページ数やコマ割りなんかまで思い出せる。皆さんにも、そういう作品がひとつやふたつあると思う。

思春期に出会った作品は一生好きでいるものが多いから、と当時別の作品を通じて仲良くしてくれていたオタク仲間のお姉さんがくれた言葉がある。その言葉通り、わたしにとっての封神演義は聖書であり、偶像崇拝とでもいえばいいのか。平たく言えば宗教だ。

 

当時の話をもう少しさせてほしい。

仙界大戦を本誌で連載している折に流れたアニメ化の報にわたしはとても複雑な気持ちになった。というのも、当時のアニメ化は作品タイトルにエアロパーツがついてアニメ化することが多くあり、連載途中の作品であればあるほどオリジナルストーリーやオリジナルキャラクターの登場を余儀なくされていたからだ。

きっと封神演義も似たようなものになるんだろうなぁ、と幼き日のわたしは考え、両手放しではとても喜べなかった。実際、土曜日の早朝7時からという放映時間もあり、いろいろと手を加えられた作品であったと思う。それでも第2、第4土曜の学校が休みの日はリアタイを心がけた。録画してはいなかったことを今ではかなり後悔している。

当時はインターネットが広まりはじめたあたりで、個人サイトや掲示板が盛んになっていた。作品に対しての辛辣な意見も見た。同感と言える部分は確かにあった。けれど、仙界伝封神演義は教育アニメとして素晴らしかったと思うし、殷太子の名前をどう呼ぶのかと素朴な疑問だったところも中国読みにすることで解消していた。

アニメの内容については割愛させていただくが、今でも覚えているアニメのセリフがわたしにはふたつある。25話、普賢真人の「ほんの少しだけ触れられるような気がするんだ。君の心に」と最終話、太公望の「さらばだ!もっとも邪悪にしてもっとも美しい人形よ!」だ。放映が終わって約20年。アニメ化の話をするたびに「アニメ化はされていないけど主題歌はすばらしい」という自虐を見かけるが、今でも覚えているセリフがあるその時点で、他者の評価はどうであれわたしにとっては仙界伝封神演義はすばらしい作品だったと言える。

 

月日が流れ、昨年再アニメ化の報を受けた。その文字を見ただけでわたしは号泣し、信じてもいない神に都合よく感謝した。わたしが大好きで大好きで、それこそ何度も繰り返し読んだ仙界大戦をアニメでしてくれる。原作に忠実にやる。その文字にひたすらに感謝した。

HPを見て泣き、PVを見て泣いた。約20年の時を越えて大好きなキャラクターたちが動いている。アニメ開始の日取りがなかなか出ないことにやきもきし、どこの会社がしてくださるのかとはやく知りたかった。放映開始まで声を聞けないことに絶望し、放映開始にはテレビの前で正座した。手にしたスマホは汗で滑った。

アバンと呼ばれるOP前、太公望と聞仲が崩れゆく金鷙島の中で戦っている。号泣しながら見た。セリフも、原作のコマもぜんぶ思い出せる。制作スタッフができるだけファンが見たいだろうシーンを再現しようとしている意気込みを感じた。

細かいことを言えば、インターネットにたくさん同意できる不満が書かれている。キャラの描写が浅い。ストーリーを省きすぎていてわかりにくい。

太公望は無策で敵地に乗り込むような男ではないし、敵の兵であっても人間が死んで喜びはしない。聞仲と殷の関係も、武成王との関係より朱氏との関係を見せてほしかったと思う。

伏線で有名な封神演義だ。原作では無駄なところがほぼなかったためにストーリーを省くと後々のシーンで困るところが多い。今後、制作陣はそのあたりどうするつもりなのか気になっている。おそらくその話はなかったことになるかアニメで放映しないだけでCM中に進んだことになるのかもしれない。事実、最新話で四不象はCM中に復活の玉を使っていた。金鷙島へ向かうとき、彼の手に復活の玉はなかった。

初見お断りな匂いもプンプン感じるが、別のジャンルで仲良くなった知人は「漫画ではわかりにくかった、なぜ太公望が計画遂行者になったのかがアニメを見たらわかった」と言っていたので(わたしが熱狂的すぎて気持ち悪かったために優しくしてくれたのかもしれないが)人にもよるのだろう。

 

そう、人によるのだ。

今回のアニメ化に関して抗議するweb署名の話を聞いた。驚いてサイトも見た。ちょっと長くて目が滑った。Amazonで円盤をポチろうとしたらレビューも悲しい声ばかり書かれていた。気持ちはわからないでもない。20年、我々は待ったのだ。自分たちの中で封神演義という作品が神格化され、自分なりの解釈や考察が生まれていく。それって正しいかどうかは別としても悪いことではないと思う。

抗議をしてその終着点はどこなのかが気になっている。署名者の数が500名を越えていたところまでしかわたしは知らないが、たとえば署名者ひとりが1万出せば500万だ。

OPを切り貼りだらけのものから音に合わせて滑らかに動くものにしたい!とか2クールで終わるわけがないのだから何期かにわけてゆっくり放映してほしい!とか、そういった要望に変えることはできなかったんだろうか。同じものが好きだと言える同士のはずなのに、行動力はすごいと思えるのに、彼らの背中は遠く感じた。語弊があるかもしれないし、すこし言葉は悪いとは思うのだが、気に入らないものを気に入らないと言うだけなら誰にでもできる。

アニメ化を機にさまざまなグッズも出た。フィギュアも出るときいた。20年前の作品がこんなに陽の目を見ることができるなんて、わたしはとてもうれしい。よろこんで財布の紐を緩くする。

 

叩かれることを覚悟で素直に答えるが、わたしは今回のアニメで何回も泣かせていただいているので、正直そこまでいうほどひどいだろうか?と思い周囲との温度差に首を捻ってしまう。好きだと言えない雰囲気にさえなってしまった。

たしかに無理矢理の群像劇へ仕立て変えられた反復横跳び感はある。(もしかしたらわたしの頭が悪いだけで、原作での時間の流れはああだったのかもしれない)ひとつひとつのストーリーを丁寧に描いてほしいと思うこともある。

しかし制作陣が描きたいのが仙界大戦であるのなら多少は仕方がないのかもしれない。ただ、再アニメ化にあたって月日が流れすぎて我々の頭も随分とかたくなり個人的な感情が深まってしまっていた。ここは本当に悲しむ点であると思う。腐女子たちが呪文のように唱える解釈違いというやつが恐らくいちばん近しい感情だ。

どうしてここにこのシーンを?というシーンは確かにいくつもあった。しかし最終話まで見なければ全体を通しての意図はわからないと思う。

特番を挟んで再来週から仙界大戦がはじまる。わたしの最愛キャラクターが封神されるまでのカウントダウンもはじまった。

制作スタッフがあと20話近く幅を残してどう描いてくださるのか、わたしは楽しみにしている。